(1)製作について

72を手に入れました。 ハセガワが発売していますが48と同じく元は「マニア」の製作だそうです。 48と違ってリベットは打ってありません。 当然か〜ァ。 翼は凸と胴体は凹のラインです。 いただけないので凹に掘りなおしました。 足回りが3種類用意されています(通常、カバーなし、低圧タイヤ用)。 形は良く97式を上手に再現したものと言えます。  此れで 海軍96式艦戦との派手な塗装比べが出来ます。 飛行第1戦隊機です。

(2)雑感

海軍の九六式艦戦の素晴らしい性能に陸軍も欲しくなり 昭和10年末 中島、川崎、三菱3社による競争試作を おこなうこととしました。 中島は川崎に奪われていた陸軍戦闘機の座をとりもどすべく1号機を社内実験機とするなど大変な熱意を示した。 三菱と中島の比較審査は激烈を極めたが空戦性能に優れていることを理由に中島が採用された。 昭和13年4月、北支戦線にデビューし、特に 昭和14年5月〜9月にかけてのノモンハン事件では1対10の劣勢にもかかわらず10対1の大戦果をおさめた。 しかし、元航空審査部の 荒蒔義次氏は当時航空技術に差の無いソ連軍がすぐ対策をたてて戦場に出現するのに注目している。 それは防御をつける(7.7mm2挺 では撃墜が困難になった。)戦法も一撃離脱方式に変わった。 それらにより損耗率が3対1にまでなってしまったと論理づけた。 九七戦の成功は旋回性能至上主義と 軽機銃装備を陸軍の戦闘機の伝統としてしまった。 

(2004/11/06)