(1)製作について

陸軍の双発爆撃機で活躍した97式重爆撃機は国内メーカーが製品化を控える中で、昔はラベル、今はMPMが1/72で製品化 しています。ラベルは今や金型行方不明の幻の製品ですが、運良く私の手に入りました。恐れ多くて2年間は製作せず眺めていました。 金型精度は素晴しくヤスリのすり合わせは不要です。設計方針で左右部品の馬鹿よけもキチンと出来て筋彫りは凹、おまけにリベット付 という当時としては驚異的な商品だったと思われます。上部風防前部の傾斜が実機と異なるのを除けばよい製品です。操縦席をディテール アップしたのですが風防をかぶせてしまうと見えませんでした。


(2)雑感

昭和10年、陸軍は三菱と中島の競争試作を命じた。 陸軍はソ連を仮想敵国としていたので、爆弾搭載量は少なく、航続距離は短いが速度、操縦性能は高度なものを要求した。 諸性能がほぼ互角であった為、大型機の実績がある三菱機が採用されたがエンジンは中島、爆弾倉胴体形状などは中島機のように改修した。 当時、実用に耐える重爆撃機の不足に悩んでいた陸軍はイタリアからフィアットBR20(イ式重爆)を85機購入して実戦に使用していた。 I-15、16、グラジュエーターなどの戦闘機に対して97式は優秀さを実証できた。しかし、戦争が太平洋戦争になると搭載量、航続距離、 防御武装などの不足から苦戦をしいられることとなった。後続機「呑竜」の出現後もなお性能向上の改修を受けて陸軍爆撃機の代表格であった。 軍用機の成功は当面する作戦に適した性能を有しているかどうかにかかっている。軍の用兵思想が現実と異なると苦戦してしまう。




(2010/01/06)