(1)製作について

 前照灯を透明ライナーで工作した以外努めて何もしないことを方針としたのですが、色は苦労しました。 
始めはタイ王国空軍博物館にある機体の黄色に塗ったのですが?? と思い黄橙色に塗り直したのですが???  赤を混ぜてみたら赤橙となりました?  箱絵を尊重して赤橙の上に黄色をうっすらと重ねることでよう
やく”まぁ〜いいか”ということで。 

  (2)雑感

 、99式高等練習機は昭和13年に九八式直協偵察機として採用された機体に複式操縦装置をつけて武装や偵察用装置を除いたものです。 機体は下方視界を広めるため、極端な後退角を持った主翼や後方へ広くスライドできる風防など特徴ある形であった。   戦後日本軍が東南アジア各地に残した機体を現地軍が接収し植民地からの独立戦争などに使用された活躍した機体であった。

インドネシア人民防衛軍は日本軍から引き継いだ機体を45年10月には彼らが飛行し、インドネシア共和国空軍の創設に寄与した。この空軍の国籍マークは日本の日の丸の下半分を白く塗ったものであった。九八直協は4機、隼6機、95式練習機4機、100式偵察4機、97式重爆1機、99式軽爆1機、93式練習機70機その他島が多数あるインドネシアで特に役立ったと思うのは97式飛行艇1機ではないだろうか。

(3)第79振武特別攻撃隊の発進

 ネットで99式高等練習機を検索したら旧陸軍桶川飛行機学校を語り継ぐHPにめぐり合いました。
昭和20年4月5日99式高等練習機を戦闘色に塗替え、12機にのうち6機に整備兵・整備員が同乗して出発、 九州の知覧基地に向けて発進した。 詳しくはHPからご覧ください。


 (塗装は川越から業者を呼んだという証言による、写真を見ると胴体に日の丸がある)

(2021/06/12)