(1)製作について

 凸堀を凹堀にしてみました。 だから如何なの?と聞かれると 何と答え良いやら判りませんが・・。 カウリング下面の潤滑油冷却器にケガいたプラバンを1枚入れて雰囲気を出します。 着陸灯はお約束の透明ライナーから作りました。  機銃は製作中に折ってしまいパイプで代用しましたが 計算するとオーバースケール(汗)。 そこでアンテナ支柱は胴体から切離し塗装後に接着しました。  倉井少尉のマーキングにしてみました。 迷彩はスツーカで試みた型紙を使い、エア スプレイの細吹きと細筆で仕上げます。 型紙を作るのが面倒臭いので翼と胴体一つ作り左右は反転しました。 左右対象に見えないようタッチアップで誤魔化しました。(爆笑)

(2)雑感

 昭和16年の初め「鐘馗」の性能向上策としてハ-45/誉エンジンを搭載する案を研究したが改修はかなり困難と判定して、 軍は昭和17年4月末新戦闘機キ84の設計を指示した。 18年3月試作機は完成し125機の大量試作機の発注のお陰で、19年3月5日には 4式戦闘機としての採用前にキ84実戦部隊が編成された(第22戦隊)。 軍は「大東亜決戦機」と呼んで期待をした「疾風」だが、稼働率の低さ(主にエンジンに起因する)と練成不足の パイロットの為、その多くが特攻機として無為に消耗されるだけとなって本来の性能を発揮することは無かった。  堀越二郎氏が戦後、技術的に問題ありと非難し毀誉褒貶のハ-45/誉エンジンだが、米軍のテストでは最大速度687qはじめ他の諸性能も 日本側のデーターを大幅に上回った。高オクタン価のもとでは高性能を発揮したという事だろう。 誉エンジンの詳細図面が2000年夏発見された。  中島の技術陣は此のまま沈黙を続けるのだろうか?

(2004/2/28)