(1)製作について

兵頭二十八氏の「パールハーバーの真実」PHP文庫を読んで97式3号艦上攻撃機を作りたくなりました。 製作はプロペラ軸がガタガタなのでアルミパイプで穴を通し軸はプラ材を使いました。 カウリング上部の照準器?は0.35ミリのステンレスです。 他は素組みであっさりと仕上げました。 問題は塗装です。 「飛龍」の艦載機の迷彩密度がイマイチよく判りませんでした。  資料の収集努力に熱が入らず適当に成ってしまいました。(毎度の反省です)

(2)魚雷主義

兵頭二十八氏の「パールハーバーの真実」によると、正規空母6隻・その定数一杯の97式艦上攻撃機・及び91式航空魚雷の3点セットでやっと開戦奇襲を企てることが出来たとあります。 しかし、 ミードウエー海戦の結果から「空母+飛行機+航空魚雷」は使えるシステムではなかったと述べている。 昭和12年まで続く軍縮条約時代、戦艦でも空母でも潜水艦でも米英の保有量を絶対に上回ることが出来ない という条件をいかに克服するかは日本海軍にとって重大な課題であった。 結論は「魚雷主義」だ。 艦攻と91式魚雷を「使える」兵器に完成させ、其れによって空母を対米艦隊決戦に使える重要艦種に格上げしてくれたのは 「水雷派」の人脈の功績であった。 山本連合艦隊司令長官はその有力な機動部隊ユニットを、水雷科出身の南雲忠一に指揮官に据え、その航空参謀として山本の直系の、最新知識を空襲下のロンドンで仕込んでこさせたばかりの 若い源田實を送り込んだ人事は良く考えられた配材と兵頭氏は言う。 それでは何故ミッドウエーではダメだったのか。@魚雷は高価でおいそれと使えない A2回の出撃分しか空母は魚雷を積んでない Bもし 出撃して使わなかったら 着艦は危険だから捨てるしかない C多くの時間と労力を要した魚雷の取り付け 等など具体的に事例を挙げて検証していく 「開戦奇襲」作戦の用途には耐えられる水準でも、対等の相手との不期遭遇「戦闘」や、「強襲」 作戦の運用には使いがたいシステム構成であった。

昭和15年の横須賀海軍航空隊で爆撃と雷撃の利害得失を比較した印刷物がある。@将来、母機が高速化し、リリース高度も上がるほど「射角許容範囲」は狭まり航空魚雷は当てにくくなるだろう。A高高度から近付くと、 爆撃は奇襲になるが、雷撃は、薄暮・夜間・払暁でない限り奇襲にはならない。B雷撃機は敵艦の機銃による被害をうけるが、爆撃機は受けない。C雷撃は悪天候でも実施可能だが水平爆撃は雲があるとダメ。もし超低空から爆撃しても 貫徹威力はなくなる。D爆撃技量の向上と保持は雷撃に比して一般に困難。E爆雷は魚雷に比べて整備も取り扱いも楽である。F結論として、爆撃は遠距離対戦や長期の漸減戦に向いており、雷撃は犠牲を厭わない近距離での決戦に向いている。 


(2006/04/16)