(1)製作について

主翼が分厚いのには驚きました。 翼の上下接着面を削りましたが薄くなりません 表も削るとなるとパテで裏打ちしないとまずい程です。基準翼だけ翼端を薄くしました。中途半端の誹りは免れません。  水平尾翼の筋彫りがダルダルです。パテで埋めて掘りなおしました。 塗装は空母「蒼龍」の羽切1等航空兵曹1939年夏 日本本土だそうです。 塗装でMr.カラーのスーパーファインシルバーのうえに タミヤカラーのクリヤーイエローでワニス塗りを表現しました。 クリヤーイエローを均一に噴くのは難しいです。  取説のレドーム色+金色はどんな色になるのでしょうか?  増加タンクはMr159のスーパーシルバーです 木目の細かさはスーパーファインシルバーは凄いです。   

(2)雑感

軍縮条約で軍艦の保有量を制限された日本海軍は、これを補うために航空兵力の充実を図ることを決めた。しかし、肝心の航空技術は欧米に比べ立ち遅れており、昭和6〜7年の「航空技術自立計画」が 立てられた。昭和9年海軍は「九試単座戦闘機」の試作を三菱、中島両社に対して指示した。三菱の設計主務は後に零戦の設計者となる新鋭 堀越次郎氏であった。 世界最初の沈頭鋲、全金属片持ち式単葉機など 固定脚を除けば外観は一挙に近代的なものとなった。 試作機の最大速度は要求値を遥かに超して、当時の海軍主力95艦戦380kmにたいし451kmを記録した。 昭和11年制式採用され、昭和12年9月 上海からの 南京空襲で実戦デビューを飾った。 昭和15年零戦が登場するまで日華事変を縦横無尽の活躍をした。 若いパイロット達は96艦戦の訓練、実戦で育ち、零戦で太平洋戦争の初期にエースとなっていった。             

(2004/8/21)