(1)製作について

合いも良くほぼ素組みで作れます。 機首のマスキングが難所ですが、じっくりやれば出来ます。 私は初めて「バードマン企画」のキャノピーマスキングを使いましたが・・。 製作記をご覧下さい。 最初の写真は74戦隊です。 74戦隊のデカールは勿体無いけど、今回限りでお釈迦です。 ディテールUPをしたら良かったと思った箇所は、操縦席・後上方砲座・電波警戒機のアンテナ線を細くする・・・ってな所ですかな。(目標が低い?)

7戦隊の雷撃機仕立てです。

(2)雑感

日本では重爆撃機と名付けられているが寸法を比べるとB-26と変わりが無い。 しかも爆弾搭載量は魚雷の800〜1070sが最大でB-26の1360sよりかなり少ない。 乗員は6〜8名を要する。 世界の水準と比べると中型爆撃機であった。 陸軍の爆撃機に対する用兵思想が対ソ戦用高速戦術爆撃機の域を出ていなかった為、戦争後期で米軍の機動部隊と戦わ なければならなかったのは悲劇だった。 陸軍機でありながら敵輸送船団を攻撃する必要に迫られ、昭和19年1月末から浜松陸軍飛行学校教官20名を初めとして第98戦隊、第7戦隊が雷撃、 洋上航法、夜間雷撃法を海軍の鹿屋762空で学んだ。 「飛龍」の操縦性が良く急降下や垣根越し飛行が可能だったからである。 実戦はデビュー戦の台湾沖航空戦、フィリピン沖 艦艇攻撃、サイパン攻撃、硫黄島攻撃、九州沖航空戦、沖縄戦、バリクパパンの雷撃など敗戦に向かって転げ落ちる戦を戦闘機の護衛もなく夜間または薄暮攻撃で部隊を 磨り潰していった。

僅かな機数での悲しい攻撃が何度も繰返されました。

(2003/8/24)