(1)製作について

12月10日です。 1941年12月10日 飛行機が動く戦艦を沈められる事を証明したマレー沖海戦がありました。 九六式が最も輝いた瞬間です。既に1式陸攻も配備され海戦に参加しましたが、九六に遅れて後始末をしました。
 陸軍4式重爆に引き続いて、双発の海軍九六式中攻を作りました。製作記をご覧下さい。

(2)海戦概要

1941年12月6日 日本軍は仏印のカムラン湾から陸軍山下将軍の輸送船団約30隻が軍艦に護衛されて南下しました。英軍はハドソン爆撃機の偵察によりこれを察知 司令官に報告されました。 8日未明日本軍はマレー侵攻作戦を開始します。 フィリップス司令官は戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパレス」と駆逐艦4隻を率いて輸送船団撃破の目論見で出撃しました。 日本側は伊号第65潜水艦が9日 北上中の英艦隊を発見打電しますが天候不良の為見失います。小沢冶三郎南遣艦隊司令長官は夜戦を決意します。それに呼応して仏印の基地から陸攻隊も夜間攻撃に出撃します。 美幌空の九六陸攻は夜目にも白いウエークを発見し吊光弾を投下します。 が艦は小沢隊の旗艦「鳥海」で「ワレ鳥海」と発光信号を送ります。 それを見たフィリップス司令官は奇襲攻撃の望みがなくなったと反転します。 10日の夜が明け元山空と美幌空の九六67機と鹿屋空の一式26機が向かいます。索敵機がようやく捕捉した敵東洋艦隊に殺到します。 最初は美幌空の九六爆撃隊が「レパレス」に250kg爆弾を命中させます。つづいて、元山空の九六雷撃隊の魚雷が 「ウェールズ」に命中、速力を激減させました。最後に戦場に到着した鹿屋空の一式雷撃隊が両艦に魚雷を命中させ「レパレス」を沈めます。沈没寸前の「ウェールズ」に美幌空爆撃隊の500kg爆弾も命中し、同艦も撃沈されました。 前年大西洋で「ビスマルク」をやっつけた「プリンス・オブ・ウェールズ」を不沈艦と信じた英軍は日本軍を甘く見ていたのでしょう。空襲中に「レパレス」艦長がシンガポールの空軍に助けを求めバファロー11機が駆けつけますが沈んだ後でした。 我が方の損失は3機でした。被弾機は約4割の31機もありました。
1937年7月7日日華事変が勃発し 陸攻隊は8月14日,15日に首都・南京と抗州方面航空基地を渡洋爆撃を行った。 長い日中戦争の間、九六陸攻は戦略爆撃隊の尖兵として戦闘機(九六艦戦)の護衛もなく連日のように中国各地を転戦し、 遠く成都や重慶(1940年9月13日の重慶攻撃に零戦が参加し大戦果をあげる。)の奥地まで多大な犠牲を払いながら攻撃を続けた。
 

(2003/12/7)